「いや、僕は本来、王道が大好きなんですよ。中学生の頃、京都の映画館でリバイバル上映で初めて観て号泣して、その後も何回も繰り返し観ました。ビデオもレーザーディスクもDVDも持ってるし、特別版とか出るとそれも買いましたよ。そもそもどんな映画でも観る時は主人公に感情移入して観るんですが、怪獣映画の時はゴジラになりきって、家に帰って布団を山にして潰したりしてました。そんな感じなので、当然オードリー・ヘプバーンに感情移入して観ていましたね」
え!?
男性は皆グレゴリー・ペックに自分を重ねるのかと思いきや。「いやいや、男が男性主人公に感情移入するとは限らないですよ。ずーっとヘプバーン側(笑)。だから立場が違う人とはもう今後、会えない悲しみでオレは――いや、私(=王女)は泣いてたんですよ。『私、王女だから、相手が新聞記者じゃ切ないよな』って思ってた。でも私サイドから言えば、最後に『一番の思い出の街はローマです』ってちゃんと言えたから、けっこう満足してる(笑)。本当にいい人に拾われて良かったなって思いますよね。これが悪いヤツだったらどうしようって内心ドッキドキでしたからね。あとカメラマンの人は気の毒だった。私に写真とフィルムをくれたでしょ?
あのフィルムさえあれば、家が一軒くらい建ったかもしんないね。「フライデー」もなかったあの時代、歴史上初のフライデー的行為が行われたのにフィルムを差し出したカメラマンの気持ちは汲み取りましたよ。ペックは私との思い出で飲み屋のネタには困らないだろうけど、カメラマンは呼び出されてわれただけで、そんなにおいしい思いしてませんからね。本当に一番いい人はカメラマンですね。あの写真は確実に高値で売れたのに、それをしなかったあの人の誠実さに泣きましたよ。今後、あの人のカメラマン人生すら心配しちゃうわね」
多くの名シーンがある本作だが、アン王女がロングヘアをばっさり切るシーンもそのひとつ。「うちのオカンはヘプバーン刈りって言うんですけどね(笑)。当時はお嬢さんはロングですよ、フツー。ショートカットの人ってそんなにいなかったと思うんすよね。キョンキョン(小泉今日子)がアイドル時代にばっさり切ったルーツはこの『ローマの休日』センスですよね。髪の毛を切るというのは体制への反発だったりしますから。それから、タモリさんじゃないけど、女性に『髪切った?』って聞かないと失礼みたいな風潮になったのもたぶんこの映画が原因だと思いますね。実際に髪の毛を刈ってるわけですから“刈り映画”のルーツですね。あとは少女漫画のルーツでもある。悪い人がひとりも出てこなかったり、身分違い、立場違いとかね。いろいろな作品に影響を与えてますよね。僕が小学校1年の時に見た『三大怪獣 地球最大の決戦』('64)にも、ボディガードと王女との恋が描かれてて、ラストは完全に『ローマの休日』へのオマージュでしたね。ブルース・リーの『ドラゴンへの道』('73)でブルース・リーがトレビの泉に行くシーンもきっとそうですよ。怪獣映画からカンフー映画まで影響力はものすごいです」 そして力説するのはなんと○○映画の原点という目から鱗な見方!
「“ロリコン映画”の原点でもありますしね。年齢設定はハッキリさせてないけど、アン王女はおそらく10代半ばから後半くらいで、きっとペック演じるジョーは少なくとも20代後半、もしかしたら30代かもしれない。けっこうな年の差だと思うんですよ。純愛って言われてる映画って本当は裏にもっと深いテーマが隠されてるもんですよ。だって監督はウィリアム・ワイラーですよ。『ベン・ハー』('59)とか『コレクター』('65)の人ですよ。
こんないいばかりが出てくる純愛物語をフツーに作るわけがないですよ。僕も中学の時は単なる純愛ものだと思ってたけど、何十回も観たらわかってきた。一見、身分違いの恋を装ってるけど、実は今、流行りの年の差カップルの話だってことを。オレが国民的アイドルと恋に落ちるようなもんだから、当時だったらペックは、変態オヤジって呼ばれちゃいますよ。少女とおっさんの恋ですからね。ジョーって普通にモテそうなのに、あまり女の人の陰がなかったじゃないですか。アパートだって男のひとり暮らしだったし、もしかしたらバツイチだったかもしれないよね。王女はジョーについて職業は聞いたけど、あとは何ひとつ聞いてないでしょ。たぶん男の人をこの人しか知らないから何を聞いていいかわからなかったんだろうね。諸説ありますけど、オレはあのふたりは体の関係はなかったと思ってます。ジョーはロリな視点でアンを見てるんだけど、そこはギリギリの緊張感でやらなかったっていうガマン映画でもある。そう思ってみるといろいろなシーンが違う解釈で見えてきますよ」
Text ●熊谷真由子 Photo ●源賀津己