ページTOPへ
パラマウント・ピクチャーズ

COLUMN

「スター・トレック ディスカバリー」の魅力を語る!

「スター・トレック:ディスカバリー」
相馬 学(映画ライター)

『スター・トレック』(以下、ST)が、ここまで劇的に再生するとは思ってもいなかった。12年ぶりのTVシリーズとなる「ディスカバリー」は、まさに嬉しい驚きだ。

正直に打ち明けると、筆者は映画版シリーズを追いかけていたのみで、TV版はどの時期も2、3話観ては挫折していた。映画版のシリーズにしてもキャストが一新された1994年の『ジェネレーションズ』あたりから、ゴダールの映画並に難解になり、ついていけなくなったクチだ。ディテールにこだわる作り手の気持ちもわからないではないが、そこに“イチゲンさん、お断り”的なものを感じたのも事実。STは、トレッキーのためのコンテンツとして続いていくのだろう……と、思わずにはいられなかった。

そんな状況を変えたのが、2009年の映画『スター・トレック』だ。監督のJ.J.エイブラムスは、ご存知のとおり、キャラクターを大切にしながら物語を紡ぐ才人で、ここではシリーズ最大の英雄カーク船長の若き日をクローズアップ。何者でもなかった青年が自分の居場所を見つけるまでを描いたドラマは新たなファン層を開拓し、過去の映画版シリーズをはるかに上回る2億5千万ドルの全米興収を計上し、高らかに新シリーズの幕開けを宣言した。

この映画版新シリーズで製作総指揮と脚本を務めたアレックス・カーツマンが指揮を執る「ディスカバリー」も、そんなスピリットを踏襲している。主人公マイケル・バーナムは有能な惑星連邦の士官だったが、罪人となり、そこから這い上がる。ドラマチックなうねりが、全15話に脈動しているのがイイ。マイケルだけでなく、ディスカバリー号に乗っているクルーにはそれぞれにドラマがある。軍人としての職務を全うしようとする一方で秘密を隠し持つ船長ロルカ、宇宙菌類学者として新たなテクノロジーを開発する同性愛者スタメッツ、クリンゴンの捕虜だったが保安部長に抜擢され、マイケルと恋に落ちるタイラー、その彼を拷問で苦しめるも逆にディスカバリーに捕らえられるクリンゴン人の理想家ルレル。どのキャラクターをもおろそかにせず、そのドラマをスリリングに見せるのだから、“次”が楽しみになる。

この10年で米国のTVドラマは巨大産業に発展し、番組間の競争も激化しているが、そのような現状を踏まえると、「ディスカバリー」がマニア向けの要素を残しつつ従来のST以上に物語重視となるのは必然的。しかし、「ディスカバリー」には他の海外ドラマとは異なる、素晴らしい要素がある。それはシーズン1だけでドラマがきっちり完結すること。昨今の海外ドラマでは、最後に思わせぶりなエピソードを残してシーズンを終えるのが常套手段だ。しかし、「ディスカバリー」はそんな姑息な手段はとらず感動的なフィナーレを迎える。一本の映画を見たときのような充足感が、そこには確かにある。そして、この充足感は、現在製作が進められているシーズン2を待ち遠しくさせてくれているのだ!

「スター・トレック:ディスカバリー」の魅力
丹羽正之(翻訳家/本作日本語版監修)

ディスカバリーは、スター・トレック・ファン待望のドラマシリーズだ。映画版も面白いが、やはりスター・トレックは連続ドラマ形式で時間をかけてたっぷりと楽しみたい。ここではコアなファン目線でディスカバリーの見所を挙げてみたい。

主人公のバーナムは地球人でありながら、バルカン星で育てられたという二面性を持つ。育ての親はバルカン人サレクと地球人アマンダの夫妻。その息子であるスポックは、バーナムから見ると弟ということになる。スポックに地球人の姉がいたことは、これまでにはなかった設定だが、そこにこのドラマの狙いが出ている。スター・トレックが重視するダイバーシティ(多様性)だ。

スター・トレックとは何か? その面白さの秘密は何か? と問われたら、多様性(多様な視点)と答えることができるだろう。SFドラマは少なくないが、地球人目線の単純な勧善懲悪では、似たり寄ったりのストーリーになってしまう。スター・トレックでは、地球人とは違う視点や価値観で異星人が語り、行動する。バーナムが地球人的な感情とバルカンの論理的思考のはざまで悩んだり、バルカン人やクリンゴン人がユニークな考えを述べたりするのが面白い。

さて、主人公のバーナムだが、ある事件でクリンゴン人を殺害してしまい、それが原因でクリンゴンと連邦は戦争状態に入ってしまう。責任を問われて解任されたバーナムが連れてこられたのが、宇宙船USSディスカバリー号だ。これは謎の新技術を開発中の実験船であり、驚くべきパワーを秘めた特別な船である。

傷心の主人公が未知の場所で謎めいた新しい生活を始める、というストーリーは、スター・トレック ディープ・スペース・ナイン(DS9)のオープニングと似ている。DS9が壮大なドラマに発展していったように、このディスカバリーもこれからの大きな飛躍を予感させる重厚なスタートだ。

時代設定は、カークやスポックのオリジナル・シリーズから10年ほど前、つまり23世紀の中ごろだが、ドラマを見ると新スター・トレックからヴォイジャーに至る24世紀的なデザインやテクノロジーが垣間見える。これまでのスター・トレックの正史を尊重しつつも、ヴィジュアル重視の配慮が感じられる。昔からのファンとしては、DS9やヴォイジャーの続きを、最新の映像美で見せてもらっているようで嬉しい限りだ。

考えてみれば、ダイバーシティ重視は、スター・トレックやハリウッドにとどまらず、現代社会の重要概念になっている。私たちは多様性を尊重する社会に生きているのだ。その意味ではスター・トレックは50年前から社会問題の本質をとらえていたということができるだろう。ディスカバリーの登場人物は、けっして完全無欠のエリートではなく、誰もが二面性を持っていて、悩み、もがきながら困難を乗り越えていこうとしているように見える。その姿は、多様な価値観の中で自分を見失いそうになる我々現代人の姿に通じるものがある。悩める現代人に見ていただきたい、勇気をもらえる作品だと思う。