Part2 ■だからこそ『トリプルX』が必要だ
1967年、ヴィン・ディーゼルことマーク・シンクレア・ヴィンセントは、白人の母とアフリカ系の父の間に生まれた。しかし実父とは会ったことがなく、演劇関係者である継父(やはり黒人)の影響で、演技の道に目覚めたという。
ブレイクダンス全盛の70~80年代にニューヨークで育ったヴィンさまは、やがて、従兄弟のラッパーが率いるグループ「クワメ&ア・ニュー・ビギニング」のバックダンサーを経て、有名ヒップホップ・クラブ――それこそ、アイス・キューブがVIPルームに鎮座していたりするような――のバウンサー(セキュリティ担当)として働き、余暇にはロールプレイング・ゲームを楽しみながら、俳優を志すようになる。
ヴィンさまは遅咲きである。なかなか役にありつけなかったのだ。
アメリカは人種別マーケティングが重要不可欠な国。今をときめく人気シンガー、ブルーノ・マーズ(プエルトリコ系/フィリピン系)さえ、かつては「ラティーノなの? じゃあスペイン語で歌えよ」と言われていたほどである。
そんな国では、黒人なのか白人なのかラティーノなのか判別し難い「ひとり多民族」状態のヴィンさまは、とっても不利だったのだ。
だが、アメリカ映画業界の一部は気づく。本作『トリプルX:再起動』の映像特典で関係者が語っているように、「ハリウッド映画の典型的なヒーローである軍隊上がりの白人男は、世界に広がるオーディエンスをレプリゼントしていない(=彼らが自分を重ね合わせられる存在ではない)」という、当たり前の事実に。
こうして生まれたのが『トリプルX』であり、そこにはヴィンさまのような存在が必要だったのだ。
ヴィンさまの映画会社はOne Raceという。何と言っても『ワイルド・スピード』で知られるヴィンさまなので、もちろん車のレースのことでもあろう。だが同時に人種の意味のraceでもあり、「我々人類は全員、一つの種族でしかないのだ」という主張の表れでもあるだろう。「ひとり多民族」状態のヴィンさまなればこそ。
だが、「人類は一つ」と言い切れる世界を作るためには、それぞれが置かれている現状の違いを直視して、日が当たらない人々に日が当たるような策を何か講じねばならない。
ところが。特に昨今のハリウッドでは、トランプ時代を迎えて反動化する米世論と歩調を合わせるように、白人キャラクターが(押しつけがましく)有色人種たちを救ってくれる「ホワイトセイヴィア」映画や、白人俳優がアジア系キャラクターを演じる「ホワイトウォッシュ」現象がまたもや花盛り。
それに対する静かな抗議であるかのように、多様性に満ちたキャスティングを実現し、しかもヒット街道を爆進しているのが『ワイルド・スピード』と『トリプルX』なのだ。
丸屋九兵衛(まるや きゅうべえ)QB MARUYA