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500以上の作品に携り、34作品でオスカーにノミネートされ8度の栄誉に輝く、アメリカで最も有名な衣装デザイナー。現在までのハリウッドの歴史のなかで最も尊敬される衣装デザイナーであり女性でもある。『風と共に去りぬ』(39)『カサブランカ』(42)などで知られる作曲家のマックス・スタイナーと並び、映画の裏方として一般大衆にまでその名を広く知られる。
40年間にわたる彼女の仕事が遺したものは、その作品のみならず現在でも、そのノウハウは時代物作品製作の際に、活かされている。彼女の膨大な作品はヒッチコック、ビング・クロスビー、ジェリー・ルイス、ゲーリー・クーパーや『サンセット大通り』(50)のグロリア・スワンソン、『陽のあたる場所』(51)のエリザベス・テイラー、『泥棒成金』(55)のグレース・ケリー、オードリー・ヘプバーンなどと共につくられたものであり、男優はもとより女優たちの信頼にあつかった。
1897年10月28日カリフォルニアに生まれ、1981年10月24日に逝去。夫は2度のアカデミー賞の栄誉に輝く美術監督のウィアード・イーエン。オーティス美術学院とシュイナール美術学校で学んだ後、パラマウントのチーフデザイナーであったハワード・グリアーがスケッチアーティストを募集した際に応募し、グリアーは彼女の才能に感嘆し雇い入れただけでなく、その才能を育てた。後にグリアーにかわってトラヴィス・バントンがその職を引き継いだ後も、彼女はそのまま彼と共に働いた。1938年にバントンが引退後、メジャースタジオではじめての女性のチーフデザイナーになり、1967年までその職にあった。パラマウントを離れてからユニバーサルに移りMGM、ワーナー、コロンビア、フォックスなどでさまざまな作品の衣装デザインを担当した。また数多くのアカデミー賞受賞者のために授賞式のドレスもデザインした。
1950年にベティ・デイビスが『イヴの総て』で着たオフショルダーのイブニングドレスが大流行し、一躍トレンドセッターとなった。その他にも、『ジャングルの女王』(36)のドロシー・ラムーアが身に着けていたセクシーなパラオや『陽のあたる場所』でエリザベス・テイラーが着たストラップレスのプロムドレス、ヘプバーンが『麗しのサブリナ』(54)で着用した黒いパンツ、セーターや室内履きなど枚挙にいとまがない。女優だけでなく、男優のウォルター・マッソーはカジュアルで着やすい手持ちの洋服をうまくコーディネートして、クールに見せた。このように彼女が映画作品のために製作した衣装や、コーディネートは、再々映画をとびだし流行までもうみだした。またいくつかの作品でトレードマークのめがねをかけてカメオ出演したり、「The Dress Doctor」や「How to Dress for Success」などの著作物もある。
《アカデミー賞受賞作》
『女相続人』(49) 『サムソンとデリラ』(49) 『イヴの総て』(50) 『陽のあたる場所』(51) 『ローマの休日』(53) 『麗しのサブリナ』(54) 『よろめき珍道中』(60) 『スティング』(73)
《主なアカデミー賞ノミネート作》
『皇帝円舞曲』(48) 『黄昏』(51) 『泥棒成金』(55) 『十戒』(57) 『ファニーフェイス』(57) 『5つの銅貨』(59) 『果てしなき夢』(59) 『ぺぺ』(60) 『よろめき珍道中』(60) 『ポケット一杯の幸福』(61) 『青い目の蝶々さん』(62) 『リバティ・バランスを射った男』(62) 『パリが恋するとき」(63) 『マンハッタン物語』(63) 『何という行き方!』(64) 『禁じられた家』(64) 『いのちの紐』(65) 『サンセット物語』(66) 『オスカー』(66) 『スイートチャリティー』(69) 『大空港』(70) 『王になろうとした男』(75) 『エアポート'77 バミューダからの脱出』(77) |
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